2013/09/12

新しいメロディの可能性。

音楽家同士で話していると時折耳にする「メロディは出尽くした」という言葉。
素晴らしいコード進行は全て出尽くしていて、メロディも同じく出尽くしている、だから新しいメロディはもう生まれないという意味である。
その言葉を聞くたびに果たしてそうなのかと疑問に思う。
まだまだ音楽を探究してゆくものとして、この道の先が行き止まりとは思いたくないから抗ってそう思うのかもしれない、とも思ったが否。
まだまだ新しいメロディを生み出すことはできると僕は思う。

なぜそう思うのか列挙しておいてみたい。

・Tonalityが決まっていてそこからDiatonic Noteを踏み外さずにコード進行、メロディを書くなら「出尽くしている」かもしれないが、コード進行に逆行するようなメロディを書ければ斬新なメロディは生まれる。但し歌いにくい。9th、11th、13thを多用する。コード進行となるべく無縁のメロディ。

・Tonalityを無視したコード進行におけるメロディを書けば新しいメロディになる。全音階でMajor7thコードが続き、それに合わせてアルペジオとスケールでリーズナブルでコード進行に沿ったメロディを書く、なんてことをすればそこそこIdenticalで歌いやすいメロディが生まれるかもしれない。

・Two-Fiveによる転調を繰り返し、部分部分ではTonalityがハッキリするようなコード進行においてアルペジオ中心のメロディを書く。ColtraneのMoment Noticeのようなスリリングなメロディが生まれるかもしれない。

・Tonalityをハッキリさせた上でModal Interchangeのコード進行を部分だけではなく連続して使用し、ギリギリTonalityを残してゆくことができればポップで新しく歌いやすいメロディが生まれるかもしれない。

以上の四点が、今現在ぼくが新しいメロディの可能性があるのではないかと思う根拠である。
がしかし、これを理論上や言葉で書き記しただけではなんの説得力もない。
やはりこれに基づいて自分の手で人が納得するようなメロディや作品を生み出さなくてはならない。
結果が出てから発表ではなく、臨床試験しながら作品化してゆくべきなんだろう。
こういう高尚な目標に向かって思いっきり邁進してみたいと時々思うが、音楽家として生きてゆくための下地を作るためにやらねばならない仕事がまだまだ山積みだ。
いつか、必ずこういった研究テーマと向かい合えるはず。
それを信じて、目の前のことを早く終わらせてゆこう。