2013/08/04

バークリーの夢をみるとき。

 
睡眠時に何度もくりかえし見てしまう夢がいくつかある。
そのひとつを今朝、ひさしぶりに体験した。
夢の内容はこうだ。 

僕が20年近く前に音楽を学んでいた場所バークリー音楽院。
そこに再度留学しアパートメントを借りてルームシェアをする。
同居人達もバークリーの学生で飯をどの店で食べるか話あっている。
僕は帰国が近くて、仲間達にアパートメントの処遇をどうするか相談する。
このまま契約しておいて時折ボストンへやってくるのか、 それとも手放してしばらくこないのか。 
いつもこのアパートメントの処遇についてのくだりで目が覚めてしまう。
毎回夢の中の自分は決断をくだせないのだ。

しかし、いったいこの夢、もう5回くらい見ているがなぜなんだろうか。 
バークリーで過ごした楽しかった時代への憧憬かもしれない。
音楽と友情だけで過ごした素晴らしい時間だった。
もっと音楽を学びたいという欲求の表れかもしれない。
確かにまだまだ音楽でわからないことは多く、常々学びたいと思っているし研究している。
はたまた今の生活に何かしらの閉塞感を感じているのかもしれない。
生活は厳しいが素晴らしい仲間とレコード会社を運営できて幸せだが、
根元的な新しい環境を心が欲しているのかもしれない。 

こうして思い当たる節を探してみてもハッキリとフォーカスしないのだが、
ただ自分の心が何かしらの感情に突き動かされているからこそ夢を見るのだろう。
深層心理で感じた何かを処理するために脳が夢を見る。
目覚め、それに気がついた自分が起きた脳で情報処理の続きをしようとしても手が届かない。
こういうのが「啓示」という体験なんだと思う。
それならばしばしこのフンワリとした浮遊する思考体験を続けるのもいいかもしれない。
脳が自ずから答えを導きだすまで、懐かしいバークリー音楽院の夢を繰り返しみてゆこう。
懐かしくてせつない夢ではあるけれど。