2013/03/20

考えることは文字を書くことだ。

自分の頭の中の整理がまだつかなくて寝付けないので、
もう一本ブログを書く。

僕にとって考えることは文字を書くことだ。
頭の中で考えを巡らしていても必ず堂々巡りをする。
同じ場所に思考が戻らないようにするために、
考えつつ文字に記して客観視する。
書くことによってそれが可能になる。

よしんば思考だけで結果が出て、
方針を頭の中で決めたとしても
その方針は履行されないことが多い。
明文化されていないので訓戒にならないからだ。
やっぱり書くことが大事だと思う。

会話や議論も大事だがそれは問題提起としての意味か、
予め持っていた持論の展開にしかならないのではないか。
沈思黙考、それを持ち帰り一人向かい合って考察する。
自分の持っている情報や記憶を総動員して孤独に処理することで、
誰にも邪魔されることなく深く思考できる。
そうやって蒸留された知識が大切なんじゃないかと考える。

本日、弟子のはやしもとくんによって問題提起されたこと、
「老舗ライブハウス閉店にみる今後の音楽文化とビジネスの行き先」
自宅にひきあげてからもずっと頭の中で考察しているが、
やはり音楽家として生きてゆくことの厳しさを感じずにはいられない。

淘汰されるビジネスモデルが復活することはあまり考えられない。
時代が求めていないから淘汰される訳で、自然の摂理と言っても良い。
淘汰されてきた理由がある。
それを考察し、なぜこうなったかの仮説をまずたてること。
そしてその先にどんな状況が生まれるのか考えること。
そこからストレートに生まれるニーズ、または反発して生まれる流れ、
それを予見して今から備えてゆくこと。

いくつかの気になるワードは頭にあるので列挙する。
・ネットよるリスニングスタイル、表現手段の変化。
・YouTubeの台頭、Broadcast Yourself。
・無料化する音楽とGoogle Adsense。
・もはやアーティスト育成できない音楽業界。
・JASRAC支配による音楽文化の閉塞感。
・テレビメディア崩壊で波及しない広告。
・少子化。
・低下する音楽家レベルとソフトウェア。

こういった状況の中でライブハウス経営というビジネスが厳しくなるのは
もはや仕方ないとしか言いようがない。
演奏できる場所がなくなってゆくのは音楽家としては怖いことだ。
僕らの生活も今後ますます厳しくなってゆくだろう。
でも音楽が無料化してゆく中で音楽ユーザーは増えるだろう。
だからライブに対するニーズは増えるかもしれない。

必要なのはライブハウスではない新しい形態の生演奏発信の場所ではないだろうか。
僕は「カフェ」がその場所になってゆくような気がしてならない。
その理由については説明すると長くなるので今宵は割愛するが、
より生活や地元に密着した形で音楽は生き延びてゆくのではないだろうか。
身体の大きな恐竜は滅びたが、小さな哺乳類は生き延びたという歴史がある。
恐竜になりたいという夢を捨てることからまずは始めなくてはいけないかもしれない。