2012/07/01

目的の転移もまんざら捨てたもんじゃない。

プラグマティズムの作法という本をいただいたので早速読んでいる。
専門的な見地から書かれている文章のようで、僕のような門外漢にはちょっと難しいけれど、それでもいくつかの興味深く、そして自分に役立ちそうなアイデアを発見できる本だった。
特に気になったのは「目的の転移」という言葉だ。

人が何かを行う中で「手段」が「目的」だと錯覚し間違ってしまうという現象を差した言葉だ。
それを克服することで日本のビジネスを立て直し経済を良くしてゆこうということだが、僕らのような普通に生きる人間にもこの考えは大事だと思うし、多かれ少なかれみんな目的の転移に悩まされているように思う。
僕も夢を追いかける初期の段階でこの現象を体験していたように思い出す。

僕にとって今、ギターを演奏することは「手段」である。
「目的」はギターを使って音楽を創作し演奏することで人々の心の糧になるようなエネルギーを届けてゆくこと、と明確に認識している。
でも若い頃は違った。
ギターを弾くことそれ自体が「目的」であった。
弾けるならなんでもいいとおもっていたので仕事も選り好みしなかったし、目的意識低いまま日がなずーっとギターを手遊びのように弾いていた。
今おもえばなんの練習になっていない無責任な時間だったと思う。

若いうちは目的の転移が起こりやすいと思う。
僕自身、手段と目的の差異を理解できるようになったのは30歳代の後半に突入してからだと思う。
その差異はある程度の年齢になって、たくさんの人生経験があってはじめてわかるようになれるのかもしれない。
しかし、もしも若いうちにその差異に気がつくことができたら、かえって夢を追いかけるのを諦めてしまったかもしれないとも思う。
それならば若いうちは目的の転移を享受してFoolishに自分の夢の実現の為に行動しても良いのではないか。
目的の転移もまんざら捨てたもんじゃないかもしれない。
夢を追う人たちにとっては。
Stay Hungry, Stay Foolish.